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横浜地方裁判所横須賀支部 昭和33年(わ)179号 判決 1958年7月08日

被告人 三橋淳司

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、売春の周旋をするため、売春の相手方となるよう勧誘する目的をもつて、昭和三十三年三月七日午後十一時四十分横須賀市汐入町二丁目三十二番地小笠原方玄関前道路上において、不特定の米兵士一名の身辺につきまとつたものである。」というのであつて、右は売春防止法附則第五項横須賀市風紀取締条例(昭和二十六年十二月二十一日横須賀市条例第七十三号)第六条に該当するというのである。

よつて審案するに、被告人の、当公判廷における供述、司法巡査並に検察官に対する各供述調書中の供述記載、証人小笠原きみよ、中沢栄子、佐々木辰雄、相原文行の各当公判廷における供述及び司法巡査相原文行作成の被告人に対する現行犯人逮捕手続書中の記載を綜合すれば、(一)被告人は、横須賀市汐入町二丁目三十二番地のいわゆる売春宿小笠原きみよ方において、昭和三十二年十二月末頃同人方が売春宿を廃業するに至るまで、その客引等をしていた者であるが、昭和三十三年三月七日午後十一時三十分頃、同市汐入町京浜急行電鉄横須賀汐留駅裏成川歯科医院前路上において、かねて右小笠原方かかえの売春婦トミ子こと中沢栄子のもとに、同女を相手方とする遊客として来ていた、顔見知りの、一人の米黒人兵に出遭い同人から「トミ子に会いたいから会わせてくれ」と頼まれ、右トミ子は前記小笠原方が売春宿を廃業する際東京方面に出向き同家に居なかつたので、「トミ子は居ない」と断わつたところ、同人はこれを聞き入れず、米軍票二弗三十五仙を出して、これを被告人に呉れしきりに「トミ子のハウスへ連れて行つてくれ」とせがんだので、トミ子が小笠原方に居ないことや、同家ではもう売春宿をしていないことはよく承知はしていたものの、お金を貰つているため、この黒人兵の切なる右要求を、むげに断わるわけにもゆかず、同人を、かつてトミ子が居た前記小笠原方へ連れて行き、同家でもう売春宿をしていないことや、トミ子が同家に居ないことを右黒人兵にまのあたり見せれば、同人も被告人が「トミ子は居ない」と云つたことが真実であることを了解してくれるだろうと思い、同所から約百米離れた前記小笠原方へ右黒人兵を案内して行つたところ、同家ではすでに玄関の戸締りがしてあり、被告人が家人を呼んでも誰も出て来なかつたので、右黒人兵に「このとおり誰もいない」と云い、被告人が先に同家玄関前の石段を下り、三、四米来たところを、尾行中の制服の警官である前記証人相原文行に逮捕されたものであるがその際右黒人兵は、なおも未練がましく同家玄関先に佇んでいたものであること。並に、(二)かつて、右小笠原方には、中沢栄子(当二十六年)が「トミ子」という名で売春婦をしており、同女のもとに、しばしばジミーという黒人兵が、同女を相手方とする遊客として来ていたが、右「トミ子」こと中沢栄子は、すでに昭和三十二年十二月末頃小笠原方が売春宿を廃業する際同家を出て東京に行き、本件のあつた昭和三十三年三月七日当日は同家に居なかつたこと。が認められる。(前記各証拠中、右認定に反する部分は、いずれもこれを措信しない。)

してみると、被告人の本件所為は、被告人が「トミ子」を知る右黒人兵の「トミ子に会わせてくれ」との切なる依頼を断わりきれず、右黒人兵に請われるがまま、同人を前記小笠原方に同道したに過ぎないのであつて、その所為中被告人が米国軍票を取得した点はさておき、その他の点については、法律上何等さしつかえないものといわねばならない。もつとも、前記被告人の検察官に対する供述調書中には、被告人の供述として、「その米黒人兵を小笠原方に連れて行き、トミ子の居ないことを知らせてやり、その上で、兵隊に売春婦が居るハウスに行くよう勧め、もし行くと云つたら、汐入二丁目にあるハウスにその兵隊を連れて行き、売春婦と遊ばせてやろうと思い、兵隊を連れて小笠原方に行きました」との旨の記載があるから、右の供述記載部分に信をおけば、当時被告人に、右黒人兵を未必的に、売春の相手方となるよう勧誘する意思のあつたことは認められるわけであるけれども、だからといつて、事実前記認定のような事実関係にある本件においては、該事実のみによつては、直ちに、被告人がその「目的」をもつて、右黒人兵の身辺に「つきまとつた」ものということはできない。本件には、被告人が右黒人兵の身辺に「つきまとつた」ことを認めるに足る何等の証拠もない。

されば、本件公訴事実は、犯罪の証明がないのであるから、刑事訴訟法第三百三十六条に則り、被告人に対し無罪の言渡をしなければならない。

右の理由によつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 上泉実)

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